先日、定年後のキャリアについての講習に参加した際、おそらく普段の生活の中では考えることがなかったであろう話が、講師の口から飛び出した。
「定年後、自分がしたいことを書き出して、その自分がやりたいことをするために、今、何をするべきかを考えてください。そして、そのやりたいことをするために、今しなければいけないこと、つまりギャップを埋めることを考えてみてください。」
現在を知るため、また、未来を知るために、過去から学ぶという方法は知っていたが、自分が望む未来を想像して、現在において、その望む未来を実現するためのギャップを埋めるべき作業を考えるというのは、とても新鮮だった。
考えてみたら、こうして文章を書いてみようと思い立ったのも、きっかけは、あの講習だったわけで、講習に参加したことは、自分にとって、とても良い経験だったということになる。
じゃあ、将来やりたいことのために、今の自分は、何をしなくてはいけないのだろうか?具体的な将来のことは何も考えずに、取り敢えず資格をとったり、英語の勉強をしておけば、自分にとって、良い将来に結びつくだろうなんて、ぼんやりと考えてはいないだろうか。
この考え方、方法論が、そもそも間違っていたのだ。資格を取ったり、英語の勉強をするのが楽しくて、だたただ、今を楽しむためだけに、そうしたことをしているのだったら、それでいいと思う。
でも、今の闇雲の努力が、きっと自分の輝かしい将来に繋がっていくのだと信じるとこが、そもそも間違っていたのだ。
突然だけど、子供たちと一緒に通っていた、ミニバスのことを思い出した。
そこで私が見てきた、おおくの監督やコーチは、試合の時でこそ、チームの勝利のために、子供たちそこのけで、汚い野次を子供たちに飛ばしたりしていたが、では、普段の練習はというと、チームの勝利という目標(将来)のために、今のチームに足りないものは何かを考えるといった、いわゆるチームが勝利するためのギャップを埋める作業(練習メニュー)を怠り、何か気に食わないことがあると、ボランティアでやっているんだと、ふんぞり帰る始末。
閑話休題
ある程度年齢がいってしまったら、将来の目標を設定して、足りないものを埋めるための時間も、環境も、多くの場合不利になってしまう事が多いと思う。
そんな事になる前に、今から、将来を見据え、今の環境の中でもできる、ギャップを埋める作業を探して、日々努力を積み重ねていくことが必要なのだと痛感させられた講習だった。
続く
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