将来設定の大切さのつづき

今、学校や職場に、とても嫌な人がいたとする。というか、誰だって、気に食わない人の、1人や2人、身近にいると思う。その気に食わない人と、どう関わるかは、とても重要なこと。

自分が、しっかりとした将来像を持っていたら、その気に食わない人のことを考えて、嫌な気持ちになったり、仕事上のこと以外で、コミュニケーションを図ろうとすることは、やめたほうがいい。将来の自分を見据え、やるべきことは、今いる環境の中に、たくさんあるはず。気に食わない人と、うまく人間関係を構築することは、優先順位的に、とても低いところにあるはずである。むしろ、距離間をうまく図り、そういった人と関わるか、関わらないかの微妙な間合いを取るようにした方がよい。

自分と気が合わない人は、どこに行っても、どこの環境に身を置いても、必ず出てくるものとする。その必ずでてくる、自分と気の合わない人とうまく人間関係を構築させることを第一優先順位として、相手に嫌われないように自分を嫌いな相手に合わせ続けた自分の将来は、どんなだろう?

そういえば、山田玲司先生が、「仏教OSには、四苦八苦が搭載されているので、どこに行っても、嫌な奴には、会うんだよ。じぁ、その嫌な奴が、嫌な感情をぶつけてきた時、それを自分が、同じように嫌な感情をぶつけちゃうと、相手に飲み込まれちゃうわけだ。そうならないためには、どうすればいいか。相手を許すんだよ。難しいけどね。」みたいなことを言っていた。

宗教観うんぬんはさておき、とても面白い処世術だと思った。そして、仏教も面白いかもと思った。

閑話休題

そもそも、気が合わない相手というのは、結局は、気持ちの問題なので、どのように対応しても、お互いに嫌いな気持ちを変えることは、とても難しいこと。いわんや、相手の考え方を変えようとすることなど、もっての外である。

でも、仏教OS的に視点に立って、怨憎会苦を考えてみた時に、嫌な奴を許せるかどうかは、一つの修行であって、今いる環境下の嫌な奴を許せれば、そのステージは、クリアって思えれば、遊戯的世界観だよね。受身的遊戯的世界観。

嫌な相手を許せる、許せないうんぬんは、一旦横に置いておいて、自分に、しっかりとした将来像が描けているのならば、その目標を達成するために、今の自分の環境の中でできることを考えて、少しづつでも、足りない部分を補強していく作業もまた、遊戯的世界観だと思う。積極的遊戯的世界観。

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